2020年11月15日
山陰の旅2020 part1
今年の10月末、長らく煩っていた悪性腫瘍の治療が一段落つきました。
完全寛解から5年経過して、再発はないので、主治医から定期受診は必要ないを
診断されました。
家族や周りの人々、大学の医局の教授など皆さんにご迷惑をかけた5年間でした。
そのお礼の旅を計画。
まずは島根の須佐神社と出雲大社へのお参りです。
11月7日に行ってきました。
早朝に自宅を出て、名神高速→新名神→中国道→米子道→山陰道を通って
出雲に向かいます。
途中の蒜山高原のSAで昼食。
まず向かったのが、須佐神社。

『出雲国風土記』にも登場する古社、須佐神社は、島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりにあります。
この地は日本神話の中でヤマタノオロチを退治した英雄「須佐之男命(スサノオノミコト)」に関わりが深く、『出雲国風土記』の須佐郷の条には、スサノオがこの地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。
(出雲観光ガイドから抜粋)
主祭神は、スサノオノミコト(須佐之男命、素戔嗚尊)。
アマテラスオオミカミ(天照大御神)、ツキヨミノミコト(月読命)と、日本国を造ったイザナギノミコト(伊邪那岐大神)から生まれた三兄弟です。
小生の最も関わりがある神様です。
しっかりとこの5年間のお礼をしました。
須佐神社の向かいには、天照宮があります。
主祭神はアマテラスオオミカミ(天照大御神)。スサノオノミコトの姉で、高天原(タカマガハラ)の支配者です。
伊勢神宮内宮に奉られていることが有名ですね。
こちらもお参りしました。
次に向かったのが、出雲大社。

縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)」は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建の由縁が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。
主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。
『古事記』に記される国譲り神話では、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲られます。そのときに造営となる壮大な宮殿(※)が出雲大社の始まりといわれています。
※『日本書紀』では天日隅宮(あめのひすみのみや)と表記
(出雲観光ガイドから抜粋)
主祭神はオオクニヌシノミコト(大国主命)。
因幡の白兎のお話に出てくる神様です。
そのお姿から、大黒天と間違われていますが、全く違います。
実はオオクニヌシノミコトは、スサノオノミコトの娘婿です。
元はオオナムジと名乗っていましたが、兄弟の暗殺計画から逃れて黄泉の国に逃げ込んだときに、スサノオノミコトの娘のスセリヒメを出会います。惹かれ合った二人はスサノオノミコトが投げかける3つの苦難に耐え、夫婦になることを決めました。地上に出るときに、スサノオノミコトから兄弟を撃破する戦術を授けられ、オオクニヌシノミコトと改名して地上を支配するように指示されます。
地上で、兄弟たちを撃破したオオクニヌシノミコトはスサノオノミコトの教え通り、地上を支配することにし、出雲国に住むことにします。居住の地に選んだのが出雲大社というわけです。
(出雲観光ガイドの説明とはやや違いますが)
縁結びの神様などをよく言われますが、実はスクナヒコノミコトと一緒に日本国を治めた神様で、女神たちにモテモテの神様(プレイボーイ的)だったので縁結びなどと呼ばれるようになったのでしょう。
11月(旧暦10月)は神無月と言いますが、全国の神々は出雲大社に集まるので、神様がいなくなるためにそう呼ばれていますが、出雲では神有月と呼びます。
ここでも5年間のお礼をしました。
心新たに、今後生きていくことを決意して、出雲を後にしました。
この日の宿泊は皆生温泉。
以前にお世話になったことがある、水産会社を営む海辺のお宿 松濤園。
古いお宿で、設備も老朽化していますが、ここは何といっても食事が抜群です。
今回は季節に合わせた特選料理でおもてなしプランでしたので、食事は豪華。
夕食は、食事処で個室でいただきます。

先付け
造り
カニ酢
カニみそ甲羅焼付
茶碗蒸し
鳥取和牛オレイン55鉄板焼き
活黒アワビステーキ
天ぷら
ノドグロの煮付け
焼きガニ
カニすき
雑炊
香の物
デザート
※カニはもちろん、松葉ガニです。
いかがですか?
めちゃくちゃ品数が多く、どれもこれも美味。
特にアワビのステーキは絶品でした
あまりにお腹いっぱいで、雑炊までいけませんでした


闘病5年をねぎらう夫婦2人の宴会でしたので、本当に良かったです
次の日は鳥取砂丘を訪れる予定で、眠りに就きましたzzz
part2につづく...
完全寛解から5年経過して、再発はないので、主治医から定期受診は必要ないを
診断されました。
家族や周りの人々、大学の医局の教授など皆さんにご迷惑をかけた5年間でした。
そのお礼の旅を計画。
まずは島根の須佐神社と出雲大社へのお参りです。
11月7日に行ってきました。
早朝に自宅を出て、名神高速→新名神→中国道→米子道→山陰道を通って
出雲に向かいます。
途中の蒜山高原のSAで昼食。
まず向かったのが、須佐神社。

『出雲国風土記』にも登場する古社、須佐神社は、島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりにあります。
この地は日本神話の中でヤマタノオロチを退治した英雄「須佐之男命(スサノオノミコト)」に関わりが深く、『出雲国風土記』の須佐郷の条には、スサノオがこの地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。
(出雲観光ガイドから抜粋)
主祭神は、スサノオノミコト(須佐之男命、素戔嗚尊)。
アマテラスオオミカミ(天照大御神)、ツキヨミノミコト(月読命)と、日本国を造ったイザナギノミコト(伊邪那岐大神)から生まれた三兄弟です。
小生の最も関わりがある神様です。
しっかりとこの5年間のお礼をしました。
須佐神社の向かいには、天照宮があります。
主祭神はアマテラスオオミカミ(天照大御神)。スサノオノミコトの姉で、高天原(タカマガハラ)の支配者です。
伊勢神宮内宮に奉られていることが有名ですね。
こちらもお参りしました。
次に向かったのが、出雲大社。

縁結びの神・福の神として名高い「出雲大社(正式な読みはいづもおおやしろ)」は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建の由縁が記されているほどの古社で、明治時代初期まで杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。
主祭神はだいこく様として馴染みの深い「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」。
『古事記』に記される国譲り神話では、大国主大神が高天原の天照大神(あまてらすおおみかみ)に国を譲られます。そのときに造営となる壮大な宮殿(※)が出雲大社の始まりといわれています。
※『日本書紀』では天日隅宮(あめのひすみのみや)と表記
(出雲観光ガイドから抜粋)
主祭神はオオクニヌシノミコト(大国主命)。
因幡の白兎のお話に出てくる神様です。
そのお姿から、大黒天と間違われていますが、全く違います。
実はオオクニヌシノミコトは、スサノオノミコトの娘婿です。
元はオオナムジと名乗っていましたが、兄弟の暗殺計画から逃れて黄泉の国に逃げ込んだときに、スサノオノミコトの娘のスセリヒメを出会います。惹かれ合った二人はスサノオノミコトが投げかける3つの苦難に耐え、夫婦になることを決めました。地上に出るときに、スサノオノミコトから兄弟を撃破する戦術を授けられ、オオクニヌシノミコトと改名して地上を支配するように指示されます。
地上で、兄弟たちを撃破したオオクニヌシノミコトはスサノオノミコトの教え通り、地上を支配することにし、出雲国に住むことにします。居住の地に選んだのが出雲大社というわけです。
(出雲観光ガイドの説明とはやや違いますが)
縁結びの神様などをよく言われますが、実はスクナヒコノミコトと一緒に日本国を治めた神様で、女神たちにモテモテの神様(プレイボーイ的)だったので縁結びなどと呼ばれるようになったのでしょう。
11月(旧暦10月)は神無月と言いますが、全国の神々は出雲大社に集まるので、神様がいなくなるためにそう呼ばれていますが、出雲では神有月と呼びます。
ここでも5年間のお礼をしました。
心新たに、今後生きていくことを決意して、出雲を後にしました。
この日の宿泊は皆生温泉。
以前にお世話になったことがある、水産会社を営む海辺のお宿 松濤園。
古いお宿で、設備も老朽化していますが、ここは何といっても食事が抜群です。
今回は季節に合わせた特選料理でおもてなしプランでしたので、食事は豪華。
夕食は、食事処で個室でいただきます。

先付け
造り
カニ酢
カニみそ甲羅焼付
茶碗蒸し
鳥取和牛オレイン55鉄板焼き
活黒アワビステーキ
天ぷら
ノドグロの煮付け
焼きガニ
カニすき
雑炊
香の物
デザート
※カニはもちろん、松葉ガニです。
いかがですか?
めちゃくちゃ品数が多く、どれもこれも美味。
特にアワビのステーキは絶品でした

あまりにお腹いっぱいで、雑炊までいけませんでした



闘病5年をねぎらう夫婦2人の宴会でしたので、本当に良かったです

次の日は鳥取砂丘を訪れる予定で、眠りに就きましたzzz
part2につづく...
Posted by ミーヤン at 18:03│Comments(0)
│旅行・お参り