2012年12月10日
湖東三山
最近、お寺参りばかりをしていますが、昨日は家内と湖東三山にお参りに行きました。
湖東にある天台宗のお寺で、北から、西明寺・金剛輪寺・百済寺。
紅葉で有名ですね。紅葉の季節ともなれば、団体の観光客でごった返すのでも有名
です(笑)
この三山、かの織田信長に焼き討ちされ、数々のお堂と仏様を失っています。
まずは、西明寺からお参りです。
834年に三修上人によって創建されました。
西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで
神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫
の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで
祀ったのが寺のはじまりであるという(Wikipediaより)。
入山して、まずは本坊庭園を通り、お庭を拝見。モミジの落ち葉が一面にありますので、紅葉の
頃はさぞ素晴らしかったとは思います。今は冬。観光客はまばらですね。
参道をとおり、本堂へ。
本堂と三重の塔は国宝です。ご本尊は木造薬師如来立像(秘仏)。内陣にはその他、左右に
日光・月光菩薩立像、二天王像、十二神将像を安置(いずれも重要文化財)。
後ろに回ると、木造釈迦如来立像、木造不動明王及び二童子像、釈迦如来立像(ここまで重要
文化財)、阿弥陀三尊像、昨日まで特別公開していた刀八毘沙門天像、弁財天座像を拝見でき
ました。
刀八毘沙門天像 弁財天座像
弁財天座像は、去年の大河ドラマの“江~姫たちの戦国”の第3話で、竹生島の弁財天として
登場しています(竹生島の弁財天は撮影できなかったとのこと)。
本堂を後にし、二天門(金剛力士ではなく持国夫、増長天)をくぐってお参りを終えます。
次が金剛輪寺。
741年に聖武天皇の勅願で行基によって創建。
総門をくぐり、千体地蔵千体地蔵の並ぶ参道を数百メートル進んだ地点に二天門、本堂、
三重塔(修復中)があります。参道には沢山のモミジが植えられていて、落ち葉だらけになっ
ていました。確かに紅葉の名所だけのことはあります。観光客はまばら。
本堂は国宝。ご本尊は聖観音菩薩立像(秘仏)。その他、需要文化財である、木造阿弥陀如来
坐像(2体) 木造十一面観音立像 木造不動明王立像 木造毘沙門天立像 木造慈恵大師坐像
(2体) 木造四天王像を拝見できます。
ここの参道は結構険しいので、足腰が弱っている高齢者にはお参りは難しいかも知れませんね。
最後にお参りしたのが、百済寺。
606年、聖徳太子が創建。聖徳太子がこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の
元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで
十一面観音像を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるという(Wikipedia
より)。
山門(赤門)を入り参道を進むと途中左側に本坊の喜見院があり、そこから石段を上ったところ
に仁王門、さらに上ったところに本堂が建っています。
ご本尊は十一面観音菩薩。でも、貴重な文化財群は、すべて、びわこ文化館 等の公共博物館
に寄託保存されているそうです。
平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の
火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の
建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。さらに天正元年(1573年)には
織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の
一族六角氏は、観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。
信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちした。本堂をはじめ
現在の建物は近世以降の再興である(Wikipediaより)。
とのことで、今はかなり寂れた感じがしますね。最も不幸なお寺だったとも思えます。ここの参道も
結構険しいので高齢者には難しいかも知れませんね。
ここの庭園本坊は素晴らしいお庭です。必見ですよ。
以上の三山のお参りを終えて、一路帰途につきました。さすが冬だけあってかなり寒かった
ですが、紅葉のシーズンを外したおかげで、観光客の少なく、ゆっくりお参りできて良かった
ですよ。
湖東にある天台宗のお寺で、北から、西明寺・金剛輪寺・百済寺。
紅葉で有名ですね。紅葉の季節ともなれば、団体の観光客でごった返すのでも有名
です(笑)
この三山、かの織田信長に焼き討ちされ、数々のお堂と仏様を失っています。
まずは、西明寺からお参りです。
834年に三修上人によって創建されました。
西岸にいた三修上人は、湖の対岸の山に紫の雲のたなびくのを見て不思議に思った。そこで
神通力を用いて一気に水面を飛び越え、対岸に渡ると、今の西明寺のある山の中の池から紫
の光がさしていた。三修上人がその池に祈念すると、薬師如来の像が出現し、その姿を刻んで
祀ったのが寺のはじまりであるという(Wikipediaより)。
入山して、まずは本坊庭園を通り、お庭を拝見。モミジの落ち葉が一面にありますので、紅葉の
頃はさぞ素晴らしかったとは思います。今は冬。観光客はまばらですね。
参道をとおり、本堂へ。
本堂と三重の塔は国宝です。ご本尊は木造薬師如来立像(秘仏)。内陣にはその他、左右に
日光・月光菩薩立像、二天王像、十二神将像を安置(いずれも重要文化財)。
後ろに回ると、木造釈迦如来立像、木造不動明王及び二童子像、釈迦如来立像(ここまで重要
文化財)、阿弥陀三尊像、昨日まで特別公開していた刀八毘沙門天像、弁財天座像を拝見でき
ました。
刀八毘沙門天像 弁財天座像
弁財天座像は、去年の大河ドラマの“江~姫たちの戦国”の第3話で、竹生島の弁財天として
登場しています(竹生島の弁財天は撮影できなかったとのこと)。
本堂を後にし、二天門(金剛力士ではなく持国夫、増長天)をくぐってお参りを終えます。
次が金剛輪寺。
741年に聖武天皇の勅願で行基によって創建。
総門をくぐり、千体地蔵千体地蔵の並ぶ参道を数百メートル進んだ地点に二天門、本堂、
三重塔(修復中)があります。参道には沢山のモミジが植えられていて、落ち葉だらけになっ
ていました。確かに紅葉の名所だけのことはあります。観光客はまばら。
本堂は国宝。ご本尊は聖観音菩薩立像(秘仏)。その他、需要文化財である、木造阿弥陀如来
坐像(2体) 木造十一面観音立像 木造不動明王立像 木造毘沙門天立像 木造慈恵大師坐像
(2体) 木造四天王像を拝見できます。
ここの参道は結構険しいので、足腰が弱っている高齢者にはお参りは難しいかも知れませんね。
最後にお参りしたのが、百済寺。
606年、聖徳太子が創建。聖徳太子がこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の
元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで
十一面観音像を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるという(Wikipedia
より)。
山門(赤門)を入り参道を進むと途中左側に本坊の喜見院があり、そこから石段を上ったところ
に仁王門、さらに上ったところに本堂が建っています。
ご本尊は十一面観音菩薩。でも、貴重な文化財群は、すべて、びわこ文化館 等の公共博物館
に寄託保存されているそうです。
平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、明応7年(1498年)の
火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、この2回の火災で創建以来の
建物ばかりでなく、仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。さらに天正元年(1573年)には
織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の
一族六角氏は、観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。
信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちした。本堂をはじめ
現在の建物は近世以降の再興である(Wikipediaより)。
とのことで、今はかなり寂れた感じがしますね。最も不幸なお寺だったとも思えます。ここの参道も
結構険しいので高齢者には難しいかも知れませんね。
ここの庭園本坊は素晴らしいお庭です。必見ですよ。
以上の三山のお参りを終えて、一路帰途につきました。さすが冬だけあってかなり寒かった
ですが、紅葉のシーズンを外したおかげで、観光客の少なく、ゆっくりお参りできて良かった
ですよ。
Posted by ミーヤン at 12:06│Comments(0)
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