2019年12月04日
インド釈尊五大聖地巡拝の旅 part4
インド釈尊五大聖地巡拝の旅 part4 です。
<5日目 11月24日>
この日はお釈迦様を外護したリッチャビ族の都、バイシャリの参拝です。
お釈迦様の時代、ガンジス河北岸に栄えた国で、リッチャビ人が合議制により国を治めていたとされています。
この地は、仏伝の中でも最初と最後に登場する大切な場所で、お釈迦様が出家した際、この地の近くに住むアーラーダ・カーラーマという仙人に弟子入りした(別説ではマガダ国)といい、お釈迦様の最後の旅の出発点でもあります。
最後の旅で立ち寄られた際の物語は「ガンジス河の水争い」や「遊女アンバパーリの施食供養とマンゴー園の寄進」などに登場し、大切な聖地のひとつになっています。
現在、遺跡は主に三カ所に点在しており、将来の発掘調査が楽しみな遺跡でもあります。
まず向かったのが、仏舎利発掘の仏塔跡

アショーカ王柱の残る僧院跡から南東に2kmほどのところにあるのが仏塔跡で、この仏塔跡から仏舎利が発見されました。
仏舎利は現在パトナ州立博物館に大切に保管されています。
遺跡は発掘されたまま基壇部が残り、当時の大きさを再現した仏塔型の屋根が造られています。

ここの紀元前5世紀の地層から発見されたそうです。
歴史書ではアショカ王が一度掘り起こしてからもう一度埋め直したという記載があり、八分骨仏舎利の一つだと確認されました。

仏塔前で法要
次に向かったのが、アショカ王柱
バイシャリで最も有名な遺跡が僧院跡の遺跡です。
紀元前3世紀にインドをほぼ統一し、仏教に帰依をして法による統治をしたアショーカ王はインドの仏教遺跡を巡礼すると同時に、多くの仏塔を建立しアショーカ王柱という柱を建立しました。
現在ではほとんどが完全な姿で残っておらず、この遺跡のアショーカ王柱がほぼ完全な姿で残っているからです。
アショーカ王建立といわれる仏塔の脇に、仏塔を向いてライオンの像を頂きに載せて立つ王柱は他に類がなく、2300年前の往時を偲ばせてくれます。
また、アショーカ王柱の南には猿がお釈迦様と教団のために掘ったといわれる沐浴の池があります。
現在はアショーカ王仏塔と王柱の回りに奉献仏塔の基壇があり、僧院跡が数カ所発掘されているにすぎませんが、将来は広大な遺跡になると考古学局は予想しています。

多数の民族が参拝していました。

完全体で現存する唯一のアショカ王柱です。
途中で色が変わっているのは、その下は地中に埋まっていて、発掘したそうです。
沐浴の池


沐浴の池の前で法要
バイシャリで最後に向かったのが、見返りの塚

お釈迦様がバイシャリの都を後にされる際、バイシャリの都をふり返って「バイシャリは美しい、霊樹の下は楽しい」と感慨深くおっしゃったといわれています。
お釈迦様がバイシャリの都をふり返られた場所に小さな丘があり、見返りの塚と呼ばれています。

もちろん、ここでも法要
ここはほとんど観光化されていることはなく、訪れる人もほとんどない場所です。
村人もお釈迦様由縁の遺跡であることは知らないようで、この塚の上でウシが2頭繋がれていて、法要の時にウシの糞を踏まないようにするのが大変でした(笑)
でも、仏教徒にとっては特別な場所であることには変わりありません。
ここに興味がある方や行ってみたい方は、是非、トラベルサライに問い合わせてください。
ケサリアにバス移動。

ケサリヤ仏塔を参拝。

バイシャリから北西に約45km、クシナガラから南東に約105kmにあるのが最近再発掘されたケサリヤ仏塔です。
現在は高さ約31mの仏塔跡で、本来の高さは38mあったといわれている1998年に再発掘された仏塔です。
インド政府考古学局の推測では、紀元前3世紀のアショーカ王の建立に由来し、4世紀から8世紀に現在の仏塔の姿になり、実際にはインドネシアのボロブドール遺跡を凌ぐ45mの高さがあったとされています。
お釈迦様がこの地に滞在されて、ケサプッタというお経を説法されたということからこの名がついたとされ、お釈迦様涅槃の旅では、お釈迦様との別れ難いバイシャリの人々がこの場所まで同行し、バイシャリの都が機能不全に陥ったために、人々を諭して帰らせられた場所とされています。
仏塔は発掘前の小山のような姿と発掘後の7層の仏塔基壇部が半々となっていて、仏教遺跡の状況を知ることもできる貴重な仏塔です。
中間の基壇部には降魔成道仏が残っていて、残念なことは全ての仏像に頭部がないことです。

しっかりと法要も済ませました。
またまたバス移動し、クシナガラへ。

夕闇迫るときに参拝したのが、チュンダの供養地のストューパ

お釈迦様に最後の食事を差し上げたのが鍛冶屋のチュンダ。しかしその食事が原因で、お釈迦様は赤痢を発症します。
その姿を見た村人はチュンダを責めますが、お釈迦様は最初に供養してくれたスジャータと同様に、最後の供養をしてくれたチュンダに深く感謝され、彼を責めないように周囲をなだめたそうです。

暗くなっていく中、無事法要を済ませました(ピントが甘くてすみません)。
その後、カクッタ河を参拝。

チュンダの村とクシナガラの中間にある比較的大きな河で、特に遺跡があるわけではありませんが、仏伝によれば、
激しい下痢で喉が乾いていたお釈迦様が清らかな水に身体を沈め、心ゆくまで水を召し上がられたという物語が残っています。
ここでは、日本では季節外れのホタルを見ることも出来ました。
水は思ったよりも綺麗なんですね。ホタルの幼虫のエサになるカワニナなどが繁殖しているのでしょう。
無事に、宿のロイヤル・レジデンシーに到着したときにはホッとしました。
でもね、この日も東塔特別写経をすることは忘れません。
<5日目 11月24日>
この日はお釈迦様を外護したリッチャビ族の都、バイシャリの参拝です。
お釈迦様の時代、ガンジス河北岸に栄えた国で、リッチャビ人が合議制により国を治めていたとされています。
この地は、仏伝の中でも最初と最後に登場する大切な場所で、お釈迦様が出家した際、この地の近くに住むアーラーダ・カーラーマという仙人に弟子入りした(別説ではマガダ国)といい、お釈迦様の最後の旅の出発点でもあります。
最後の旅で立ち寄られた際の物語は「ガンジス河の水争い」や「遊女アンバパーリの施食供養とマンゴー園の寄進」などに登場し、大切な聖地のひとつになっています。
現在、遺跡は主に三カ所に点在しており、将来の発掘調査が楽しみな遺跡でもあります。
トラベルサライのHPより
まず向かったのが、仏舎利発掘の仏塔跡
アショーカ王柱の残る僧院跡から南東に2kmほどのところにあるのが仏塔跡で、この仏塔跡から仏舎利が発見されました。
仏舎利は現在パトナ州立博物館に大切に保管されています。
遺跡は発掘されたまま基壇部が残り、当時の大きさを再現した仏塔型の屋根が造られています。
トラベルサライのHPより
ここの紀元前5世紀の地層から発見されたそうです。
歴史書ではアショカ王が一度掘り起こしてからもう一度埋め直したという記載があり、八分骨仏舎利の一つだと確認されました。
仏塔前で法要
次に向かったのが、アショカ王柱
バイシャリで最も有名な遺跡が僧院跡の遺跡です。
紀元前3世紀にインドをほぼ統一し、仏教に帰依をして法による統治をしたアショーカ王はインドの仏教遺跡を巡礼すると同時に、多くの仏塔を建立しアショーカ王柱という柱を建立しました。
現在ではほとんどが完全な姿で残っておらず、この遺跡のアショーカ王柱がほぼ完全な姿で残っているからです。
アショーカ王建立といわれる仏塔の脇に、仏塔を向いてライオンの像を頂きに載せて立つ王柱は他に類がなく、2300年前の往時を偲ばせてくれます。
また、アショーカ王柱の南には猿がお釈迦様と教団のために掘ったといわれる沐浴の池があります。
現在はアショーカ王仏塔と王柱の回りに奉献仏塔の基壇があり、僧院跡が数カ所発掘されているにすぎませんが、将来は広大な遺跡になると考古学局は予想しています。
トラベルサライのHPより
多数の民族が参拝していました。
完全体で現存する唯一のアショカ王柱です。
途中で色が変わっているのは、その下は地中に埋まっていて、発掘したそうです。
沐浴の池
沐浴の池の前で法要
バイシャリで最後に向かったのが、見返りの塚
お釈迦様がバイシャリの都を後にされる際、バイシャリの都をふり返って「バイシャリは美しい、霊樹の下は楽しい」と感慨深くおっしゃったといわれています。
お釈迦様がバイシャリの都をふり返られた場所に小さな丘があり、見返りの塚と呼ばれています。
トラベルサライのHPより
もちろん、ここでも法要
ここはほとんど観光化されていることはなく、訪れる人もほとんどない場所です。
村人もお釈迦様由縁の遺跡であることは知らないようで、この塚の上でウシが2頭繋がれていて、法要の時にウシの糞を踏まないようにするのが大変でした(笑)
でも、仏教徒にとっては特別な場所であることには変わりありません。
ここに興味がある方や行ってみたい方は、是非、トラベルサライに問い合わせてください。
ケサリアにバス移動。

ケサリヤ仏塔を参拝。
バイシャリから北西に約45km、クシナガラから南東に約105kmにあるのが最近再発掘されたケサリヤ仏塔です。
現在は高さ約31mの仏塔跡で、本来の高さは38mあったといわれている1998年に再発掘された仏塔です。
インド政府考古学局の推測では、紀元前3世紀のアショーカ王の建立に由来し、4世紀から8世紀に現在の仏塔の姿になり、実際にはインドネシアのボロブドール遺跡を凌ぐ45mの高さがあったとされています。
お釈迦様がこの地に滞在されて、ケサプッタというお経を説法されたということからこの名がついたとされ、お釈迦様涅槃の旅では、お釈迦様との別れ難いバイシャリの人々がこの場所まで同行し、バイシャリの都が機能不全に陥ったために、人々を諭して帰らせられた場所とされています。
仏塔は発掘前の小山のような姿と発掘後の7層の仏塔基壇部が半々となっていて、仏教遺跡の状況を知ることもできる貴重な仏塔です。
中間の基壇部には降魔成道仏が残っていて、残念なことは全ての仏像に頭部がないことです。
トラベルサライのHPより
しっかりと法要も済ませました。
またまたバス移動し、クシナガラへ。

夕闇迫るときに参拝したのが、チュンダの供養地のストューパ
お釈迦様に最後の食事を差し上げたのが鍛冶屋のチュンダ。しかしその食事が原因で、お釈迦様は赤痢を発症します。
その姿を見た村人はチュンダを責めますが、お釈迦様は最初に供養してくれたスジャータと同様に、最後の供養をしてくれたチュンダに深く感謝され、彼を責めないように周囲をなだめたそうです。
暗くなっていく中、無事法要を済ませました(ピントが甘くてすみません)。
その後、カクッタ河を参拝。
チュンダの村とクシナガラの中間にある比較的大きな河で、特に遺跡があるわけではありませんが、仏伝によれば、
激しい下痢で喉が乾いていたお釈迦様が清らかな水に身体を沈め、心ゆくまで水を召し上がられたという物語が残っています。
トラベルサライのHPより
ここでは、日本では季節外れのホタルを見ることも出来ました。
水は思ったよりも綺麗なんですね。ホタルの幼虫のエサになるカワニナなどが繁殖しているのでしょう。
無事に、宿のロイヤル・レジデンシーに到着したときにはホッとしました。
でもね、この日も東塔特別写経をすることは忘れません。
part5 に続く...
Posted by ミーヤン at 06:56│Comments(0)
│旅行・お参り