インド釈尊五大聖地巡拝の旅 part5 です。
<6日目 11月25日>
お釈迦様の涅槃の地、クシナガラの参拝です。
クシナガラはインド北部の農村地域にあり、お釈迦様がお亡くなりになられた聖地として有名です。
お釈迦様が八十歳になられ、八大聖地のバイシャリ近郊で最後の雨安吾を過ごされた後、北に向かって布教の道を歩まれ、この地で涅槃に入られました。
遺跡は涅槃に入られた地に建つ涅槃堂の他、最後の説法地、最期に沐浴をされたヒランヤパティー河、荼毘塚があり、最近、お釈迦様の舎利を八つに分けられた場所も比定されました。
現在、八分骨地、ヒランヤパティー河共に整備が進められています。
トラベルサライのHPより
またまた早朝の起床。4:45です。
日が昇る前に向かったのが、
涅槃堂です。
お釈迦様の涅槃に入られた場所に建つといわれるのが涅槃堂です。
蒲鉾型の印象的な涅槃堂には、最後に沐浴をされたといわれるヒランヤパティー川の川底から発見されたという涅槃仏が安置されています。
涅槃仏は右の手を頭の下に置かれ、穏やかなお姿で「頭北面西」の言葉通りに横たわっておられます。
ただ一点、お釈迦様の足先が少しずれており、それがインドでは涅槃の姿であるとされています。
涅槃仏の基壇部には、中央にお釈迦様に向いて座す「阿羅漢」や「悲しみに絶えかねている人」、「悲しみを堪える沙門」の姿が掘られており、ブックサ、マッラ国の王、阿難尊者など諸説があります。
尚、2012年初頭、参拝者の増加により、涅槃仏を保護するために柵が設けられました。
涅槃堂の正面には沙羅樹(沙羅双樹)が立っています。
トラベルサライのHPより
頭が北に向いておられるのはその方向が生まれ故郷ルンビニで、お顔が西を向いているのは西方浄土を見ておられるからだそうです。
献花して、お釈迦様のまわりを3度回って、その後、厳かに法要をしました。
実はこのお堂は日が昇る前には入場できないのですが、今回は特別な配慮で入ることができました。
トラベルサライの皆さん、有り難うございます m(_ _)m
日が昇ってからの涅槃堂です。
次に向かったのが、
荼毘塚です。
お釈迦様のご遺体は在家の人々により火葬(荼毘)にふされました。
その場所が涅槃堂から東に1.5km程のところにある荼毘塚です。
お釈迦様のご遺体は真綿と絹で何重にも包まれ、白檀の高木を組んだ上に安置され火葬されたといわれています。
ただ、葬儀は在家信者に任されていたことから、この地の王や貴族がご遺体に火をつけようとしましたが燃えることがなく、遅れて到着した大迦葉尊者が右繞をすると自ずと燃え上がったといわれています。
現在はいびつな形の仏塔があり、南側に寺院の遺構が残っています。
見ようによっては、お釈迦様の涅槃の姿のように見ることができます。
トラベルサライのHPより
しっかりと厳かに法要が行われました。
法要の後に、般若心経を唱えながら、荼毘塚を2週ほど回りました。
そのときに夫婦でお供えした線香です。
その次に向かったのは、
ヒラニアバティー川です。
お釈迦様が最後に沐浴された川といわれていますが、今は生活ゴミは多数浮いていて残念な状況です。
もちろん、法要は欠かせません。
お釈迦様の
八分骨地に向かいます。
お釈迦様を荼毘にふした後、お釈迦様にゆかりの国々は競って仏舎利を手に入れようとし、争いが起きる寸前でした。
その時、バラモンのドローナが現れて争いをやめさせ、仏舎利をゆかりの国々に八等分した場所がこの地であるとされています。
回りが農地に整備された中で里山のように菩提樹が茂げるだけでしたが、2012年に州政府により遺跡として整備され、降魔成道仏が菩提樹の前に安置されています。
トラベルサライのHPより
大きな菩提樹がお堂を守っているようです。
ここでも法要。
この日、最後に向かったのが、
最後の説法地です。
ここで法要。その後、お堂の中の降魔成道仏を参拝。
涅槃堂から南東に約250mのところに僧院の跡が発掘されており、この地がお釈迦様が最後に説法をされた地だとされています。
遺跡の東には小堂があり、この地で発掘された降魔成道仏が安置されています。
トラベルサライのHPより
赤痢を発症されたお釈迦様はクシナガラまでの約20kmの距離を移動するのに、40回も休憩をされたそうです。
健脚だったお釈迦様ですので、その苦行のほどが偲ばれます。
ベナレスにバスで移動。
バスで8時間に渡る長時間移動です。
ベナレスに向かう途中で悠久の流れをたたえるガンジス川を渡りました。
ラマダ・ホテルにチェックイン、夕食後、シャワーを済ませ、東塔特別写経をして、就寝。
part6に続く